長男が小学6年生になったある日、「外に出ろ」と言って連れ出し平手で頭をバシッと叩いたことがありました。詳しいことは忘れましたが、そうしてもいいような理由が父親としての私にあったような気がします。息子は私の目を真っ直ぐに見詰めて「何で僕を叩くんだ」と抗議して来ました。その時の彼の態度に気圧されたことを今もはっきり覚えています。息子は自分には非がないことを、体を張って訴えたのです。ひとりの人として尊敬を持って接しなければならないと直感しました。もしもあの時、私がもっと激していたら、息子は反抗心と軽蔑と怒りを胸の内に膨らませるか、爆発させていたでしょう。いや、すでにその思いを膨らませていたのです。私は危なく息子の怒りの火に油を注ぐところでした。怒鳴りちらし手を挙げれば、一時的にはおとなしくなるかも知れませんが信頼とは全く逆の方へ向かうでしょう。私はその時「これからは決して手を上げない」と堅く決心したのでした。「父たちよ、あなたがたも、子どもたちをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ6章4節)という聖書の言葉を思い起こしました。子どもはどんな時に怒るのでしょう。親の感情に任せて納得のできない叱り方をされたり、他の人と比較されて、けなされたり、親の普段していることと話してることが違う時、弱点・欠点ばかりを指摘された時ではないでしょうか。親は子どもの将来を心配して子どもにあれこれと言いますが、伝わる言い方、やり方を考えなければ子どもを怒らせる結果となります。聖書は「主の教育と訓戒」をすすめます。イエスさまはある時、ことばだけではなく、互いに仕え合うことを教えるために弟子たちの足をご自分で洗い、互いにそうするようにと教えました。私たち親は子どもの心に寄り添って子どもに分かるように、自分自身を低くして教え続けることが必要なのだと思います。
(2014年 通巻154号)
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