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「ある、ない。もつ、もたない」


朝日新聞朝刊の「折々のことば」という欄にあります。先日、「『ある』幸せがあるなら『ない』幸せがあったっていいじゃない」、という文がありました。「モノ、金、健康。もしこれらを手に入れるのが幸福だとすれば、病と死は不幸の極み。人は「不幸にまみれて」一生を終えるほかない。でも、持つことと幸福とは別。そう気づいた。・・・」このようなことが書かれていました。

この文章に共感する人は多いと思います。私も、「なるほど」と思う者の一人です。

けれども、読み終わって、もう一度よく考えてみると、「幸せ」の意味が不明確のように感じました。「ある、ない」「もつ、もたない」、いずれも物質的なものや「健康である、ない」といった表面的なことを基準にして語っているように感じました。

現実はどうなのでしょうか。「ある、ない。もつ、もたない」だけでは語ることができない、大切なことがあるように思います。たくさん持っていて不幸な人はたくさんいます。多くのものを持たなくても、あるいは大切なものを失っても幸せな人がいます。

聖書の中に出て来るソロモンのように莫大な財産家でありながら幸せな人がいます。貧しくて、いつも不平不満を言っている不幸な人もいます。筆者は、例のコラムのことばに修正を加えたいとと思います。「モノ、金、健康。これらを手に入れることが幸福な人も不幸な人もいる。病と死は不幸の極みと考えて『不幸にまみれて』一生を終えるほかないと言う人も、そうでない人もいる。」

物心両面で多く与えられている人には、それだけの使命と務めがあると考えることが健全であるように思います。重要なのは、与えられたものが多くても少なくても、それぞれに委ねられたものをどのように受けとめ、どのように用いるかです。持つ者が「高ぶり」や不必要な愚かな誇りから守られ、持たない者がひがみや不必要な「自己卑下」から守られることが大切です。


(2016年 通巻242号)

 
 
 

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