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「あるキリシタン大名の生涯」


 この夏休み、家族旅行で石川県の金沢を訪れました。江戸時代の加賀百万石で有名な所です。加賀藩の基礎を築いた戦国大名の前田利家と妻まつの物語は、NHKの大河ドラマにもなりました。その5代目が金沢城の隣に築いた兼六園(けんろくえん)は、日本三大名園の一つに数えられ、猛暑にも関わらず、たくさんの観光客が来ていました。近くにある前田利家の銅像の前に、「切支丹寺(きりしたんじ)跡」という看板を見つけました。キリシタン大名・高山右近(たかやまうこん、1552-1615)の築いた南蛮寺(キリスト教会)があったと推定される所です。

 1587年、豊臣秀吉によってキリスト教禁教令が出され、キリシタン大名たちは決断を迫られました。信仰を選んだ高山右近は、家族と共に各地を放浪した後、前田利家に招かれ、安い給料にも関わらず、金沢に入ります。会社や組織の都合で、転勤や転職を経験するビジネスマンに通じるものがあります。それでも右近は26年間、加賀の地で信仰に生きることができ、金沢に一つ、能登に二つの南蛮寺を築きました。

 しかし1614年、徳川家康によるキリスト教禁教令を受けて、右近は長崎へ移され、フィリピンのマニラに追放されます。悪天候と食糧難で病人が続出した、1ヶ月の船旅でした。右近は高熱を発し、「わが主を仰ぎに行く」と幾度も繰り返し、マニラ到着の約40日後、享年63歳でこの世を去りました。

 「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ人への手紙3章20節)日本を追われ、異国の地で亡くなった右近ですが、天国のことを思っていたことでしょう。家族を抱えていても信仰のために失業し、国外にまで追放された右近。私たちにはとてもそのような生き方はできないと思ってしまいますが、時の権力者に屈せず、戦国時代に信仰を貫き通した生涯に励ましを受けます。右近の信じたイエスとは、それだけ信じるに値する御方だったのです。皆さんもぜひキリスト教会に足を運び、イエス・キリストを知ってみませんか。 

 (2019年 通巻371号)

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