今年の2月、筆者は仕事の関係でカンボジアに行く機会が与えられました。首都プノンペンや田舎の地方も巡りながら、日本とは全く異なる環境で生きている方々を目にし、文化の違いに改めて驚かされました。特に貧富の差が激しい所があり、都心で高級車を所有して豪邸に住まわれている方もいれば、農村で今日を生きるのが精いっぱいな暮らしをされている方もいました。また教育格差も存在し、家の状況によって子どもが中学教育すら受けられない家庭もあることを知りました。大学教育となると、かなり狭き門なのです。
そのカンボジアの国で、一人のクリスチャンに会いました。この男性は、職場から2ヵ月間給料がでていない状況にありました。日本では中々考えられない状況です。家族を養わなければならない一家の長でもありながら、しかし現状に動揺することもなく、神に信頼して誠実に働いていました。筆者は彼の姿から、聖書のローマ人への手紙10章12節を思い出しました。
「ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かな恵みをお与えになるからです。」
国が変われば文化も生活環境も職場の待遇も大きく変わります。しかし、どんなに異なる環境にあったとしても、神を呼び求める人に神は答えてくださるというのが上記の箇所が語るところです。
前述の家族が今どのように歩んでいるのかはわかりません。しかし彼らに出会ったとき、そこには困難な中でも安心を抱いている彼らの姿がありました。私たちは、目の前の状況に一喜一憂するものです。お金がどれだけあるか、人間関係がうまくいっているか、日々変わる環境に不安にもなり、恐れおののきます。しかし、変わらない神の助けが私たちの身近にあります。どんな人であっても神の目から見たらみな同じ人間であり、神は同じように恵みを与えてくださると聖書は語るのです。
分け隔てなく私たちを見て下さり、愛し、恵みを溢れるほどに与えてくださる神は、あなたが今日の歩みの中で神を呼び求める時、あなたの声も聴いてくださっています。
あなたにもカンボジアの家族が抱いている安心が届きますように。
#(2019年 通巻351号)
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