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「こころの定年」


今日は、筆者の目に留まった「こころの定年」という記事のことばを考えてみました。サラリーマンの定年は60歳から更に実態は別にしても65歳までの雇用延長が社会全体に拡まっています。記事は、サラリーマン人生の前半期の境目にあたる40歳前後(年齢や時期に個人差があります)で働く意味を失っているような状態を「こころの定年」と語っていました。では何故、働く意味を失ってしまうのでしょう。肉体はピークを過ぎますし精神面で、私の人生はこんなものだったのかという停滞感がこころの領域の多くを支配してしまうからかもしれません。

或は、もっと複雑な人間関係・人事ポストの減少や労働環境の変化によって自己成長の実感が持てず、(自分は誰かの役に立っているのだろうか、このまま時だけが流れて行くのではないか)と思い悩むからかもしれません。記事はこれからの後半期を活き活き過ごすためには、職場と家庭以外の場所にやり甲斐をみつけることであり、具体的なキーワードは(育てる喜び)を見出すことだと語っていました。私自身は、ハーモニカに出会うことで思いがけず職場や地域の人との楽しい交流が生まれ、今まで経験することがなかったこころの喜びを感じています。しかし人の思いの喜びや楽しみには限界があり何時かは渇き虚しく感じることがあります。誰もがこころが定年になってしまうことを避けたいのですが、身体は必ず衰えていくのでいつまでも趣味や楽しみが完全な解決をもたらしてくれるわけではないからです。

聖書では、人間の老化や病気にかかわらず「こころの定年」を避ける道をパウロと言うクリスチャンリーダーが次のように教えています。 『たとい私たちの外なる人(肉体)は衰えても、内なる人(御霊・こころ)は日々新たにされています。』  コリント人への手紙Ⅱ 4:16

パウロが語っている「内なる人は日々新たにされている」ことを、私たちは、見えないものを通して経験することができるのです。それは神のことばである聖書の約束を信じ、聖書の神を人生の主として受け入れるとき、神様御自身が私たちの内側(こころ)に働いて下さり、私たちにやり甲斐に満ちた新しい人生の目的、それを達成するための力、不思議な喜びを与えて下さるからです。「こころの定年」を避けたい方には、この神様に信頼し、渇くことのない内側から湧いてくる新しい命を味わって頂きたいと思います。


(2014年 通巻182号)

 
 
 

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