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「その成果は誰の功績?」


 今まで仕事で携わった幾つかのプロジェクトを思い返すと、実に周囲に助けられてきたという感謝の気持ちが湧いてきます。私は主に営業部門の役割を担ってきましたが、技術部門、事務処理部門、協力会社等々、数多くの関係者が最高のパフォーマンスを発揮して協力し合ってこそ、初めてプロジェクトが成功に導かれます。


 そもそもプロジェクトが立ちあがること自体が、法律の改正や社会のニーズの変化といった、外的要因によってもたらされることも少なくないのです。そう考えると、私個人の限られた能力や根性や努力などは、プロジェクトの中のほんの一部分であり、自分が誇れる功績はほとんど無いに等しいと、思えます。にもかかわらず、若い頃は自分自身が認められたいという欲求にかられて、その成功を、あたかも自分の功績のように喧伝したい思いにかられたりしました。今思うと、その考え方は全く的外れで愚かだったと反省しきりです。


 聖書には次の言葉があります。


 "競走は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。パンは知恵のある人のものではなく、富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではない。

すべての人が時と機会に出会うからだ。"伝道者の書 9章 11節


 この言葉は、見えざる神様の力によって時と機会を与えられるということを意味しています。


 振り返ると、確かにタイムリーに不思議なチャンスが与えられて、そのチャンスにたまたま乗っかっていた自分がいた事を思い返します。加えて、見えざる神様の力によって骨身を惜しまず支援してくれる関係者も与えられました。そのように導かれて無事に完遂できたプロジェクトは少なくないのです。私の仕事人生、残された年月はそう長くはありませんが、神様に感謝し人に感謝して誠実な仕事をしたいと思います。


 (2024年  通巻472号)


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