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「なんで数学を勉強するの?」


 子どもからこう聞かれて、答えに戸惑いました。将来、何の役に立つのか、うまく説明できませんでした。確かに、数学で学ぶ因数分解やサインコサインが、どのように社会で用いられているのか、解説することは容易ではありません。以前、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」でも同じ質問がありました。


 番組での答えは「論理的な思考が身につくから」だったそうです(2020年9月18日放送)。論理的な思考が育たなかったら、グチャグチャな話をする大人になるのではないか、という指摘がありました。ボーっと生きていて、自分の思いが相手に伝わらないという状況は、身に覚えがあります。


 数学は古代ギリシャで発展しました。三平方の定理を発見したピタゴラスは有名です。ピタゴラスは哲学者でもありました。新約聖書の中で、パウロという人は伝道旅行の途中、ギリシャのアテネに立ち寄ります。アテネの哲学者たちと議論していたパウロは、イエスと復活を宣べ伝えました。人々の様々な反応が以下のように書かれています。


 「死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは『そのことについては、もう一度聞くことにしよう』と言った。」 (使徒の働き17章32節)


 死者の復活の話は、非論理的だったのでしょうか。世界観の全く違う人と議論すると、話が平行線に終わることがあります。復活は数学的に証明できるのものではありません。ある教会への手紙の中でパウロは


 「もし死者の復活がないとしたら、キリストがよみがえらなかったでしょう。

 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら・・・」(コリント人への手紙 第一15章13-15節)


 と、復活について論理的に説明しています。信仰と論理は対立するもの、と考える必要はありません。数学に定理があるように、聖書も論理的に読むことができます。新年度、ぜひ聖書にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。


*聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会 


(2024年  通巻470号)

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