top of page

「よい指導者とは」


教会では、毎週日曜日に礼拝があり、牧師が聖書からお話をします。先日は、聖書のエゼキエル書34章からのお話でした。

「わたし(神)の羊はかすめ奪われ、牧者がいないため、あらゆる野の獣のえじきとなっている。それなのに、わたしの牧者たちは、わたしの羊を捜し求めず、かえって牧者たちは自分自身を養い、わたしの羊を養わない」(34:8)

聖書では、しばしば人間を、弱く迷いやすい羊に例えています。牧者とは、羊飼いのことですが、お話では、ここでの牧者は、職場の上司や両親など、人々を正しい道に導くことが期待されている様々な分野での指導者のことを指していることが語られました。

ところがその指導者たちが、責任を果たさなかったので、羊にたとえられる弱い立場の人々が迷い、弱り、行き詰まってしまう様子が描かれています。

ここで改めて教えられたのは、「牧者」が「わたしの牧者」と呼ばれているということでした。つまり、指導者は神によって立てられ、人々に仕えるために才能や権威が与えられているということです。

しかし、私たちは、そのような才能や権威を、自分で得たもののように思いがちなのではないでしょうか。結果として、自分を誇り、人々に仕えるのではなく、人々を自分に仕えさせるために才能や権威を用いてしまいます。

対して、イエス・キリストは自らを「良い牧者」としました。「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)

自分を指して「良い牧者」なんて・・・。と思いがちですが、そう言えるのには理由があります。イエス・キリストは、私たちの罪(全ての人の中にある悪)を赦すために、十字架上でご自分のいのちを捨てました。

人々のために自分のいのちを犠牲にするという、究極の仕える姿をキリストは示しています。そのようなキリストを模範として従っていくときに、私たちは「良い牧者」となる一歩を踏み出すことができます。

教会では毎週、聖書からのお話があり、特に毎月第3週は、初めての方にも分かりやすい内容です。どなた様もぜひお越しください。


2(2012年 通巻 74号)

 
 
 

Comments


© 2018 札幌希望の丘教会. Wix.com

bottom of page