昨今、新聞やテレビ等の報道によると、国内外の争い事、また戦争は絶えることがありません。身近な問題としては、「いじめ」や家庭内外への「暴力」も毎日のようにニュースとして伝えられています。どうしてこの地上では「争い」が絶えないのでしょう。その根底にあるものは、人の「高ぶり」すなわち「罪」であると聖書は語っています。
聖書を読む上で助けとなる小冊子「みことばの光」(聖書同盟発行)の中に、次の記述がありましたので紹介いたします。「預言者は『平和』の到来を告げる。これまで手にしていた武器を農具に変え、さらに『二度と戦いのことを習わない』。国連本部ビル前に『イザヤの壁』と呼ばれるこの聖句の碑がある。平和は力と力の均衡によって保障されるのではない。また戦争は自然災害ではない。神の賜う『いのち』を踏みにじる人間の仕業であることを忘れてはならない。しかし神は、このような愚かな人間のために『平和の君』を遣わされる。」
彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。(イザヤ書2:4)
現在、環境破壊や地球温暖化に伴う気候の変化が、私たちに重大な「災害」をもたらしています。これも人間の「争い」や「高ぶり」の結果なのではないでしょうか。
今は収穫の秋です。スーパーには様々な食べ物、野菜、果物が並んでいます。中でも絵になるような立派なぶどうを見ると、種を与え、土を与え、雨を与え、光を与えてこれを育て、私たちに収穫の喜びを与えてくださったのは誰なのかと考えてしまいます。
先日は「神の御前で、被造物である人間の正しい応答は、静寂と賛美である。」と教えられました。静寂と賛美の中にある祝福とは何なのでしょう。「平和の君」はクリスマスにお生まれになりました。私たちは「平和の君」がこの地上に来られた理由を知らなければなりません。そして「イザヤの壁」を心の奥にしっかりと焼きつけたいと思うのです。
何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。 (ヤコブ4:1)
(2014年 通巻164号)
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