top of page

「ナナカマドの実」


昨年の春、私は異動して徒歩通勤となりました。歩いて職場へ向かう途中に、ナナカマドの小さな並木があります。それを毎日見ていて、いろいろ思い巡らせました。

雪解けの頃、そのそばを通った時に鳥が何かをついばんでいるのに目が留まりました。前年落ちて雪の下で凍っていた、ナナカマドの実を食べているのでした。エサが少ない時期にも、食べる物が備えられている不思議を思いました。

春が来て、ナナカマドは新芽を出し、その枝につぼみがふくらみました。小さな白い花を咲かせて、甘い香りがします。花が散り、夏になり、葉の緑色が濃くなってきました。日に日に実が大きくなります。木のエネルギーが、一つ一つの実に凝縮されていくようです。やがて夏の盛りには、実が黄色くなってきました。

暑かった夏が過ぎ、ナナカマドの実はついに赤くなりました。たわわに実り、重たそうに枝もしなっています。木の力が、さらに実に蓄えられている感じで、励まされます。秋には葉が赤くなり、実の赤みも増していきます。冬には葉が散って、赤い実だけが残ります。そこに雪が積もりますが、実は落ちません。また鳥が来て、その実をついばむでしょう。                       

「実」は、鳥の注目を浴び、木の「結果」と呼んでもよいと思いますが、一年中の実を支えている木の働きがなければ、結果は生まれません。どんな仕事でも、結果がとても大切で、よく結果を求められます。しかし、その実を支えているプロセスの全てを調整しなければ、良い結果を期待することができません。

人生において、イエス様は、自分をぶどうの木に、私たちをその枝に例えて、次のように言いました。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。」(ヨハネ15章5,6節)

人生において、良い実を結びたいと思います。みなさんもぜひイエス様にとどまって、良い実を結んで下さい。


(2014年 通巻163号)

 
 
 

Comments


© 2018 札幌希望の丘教会. Wix.com

bottom of page