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「ブラック企業と奴隷制」



 先日の新聞に「ブラック企業 若者の使い捨ては許されない」と題した社説が掲載されていました。その一部を紹介します。

 「ブラック企業に明確な定義はないが、共通するのは、異常な長時間労働をさせた上で、社員を使い捨てにする点だ。上司の暴言などによるパワーハラスメントが横行しているケースも多い。

 残業が月100時間を超えても残業代が支払われない。業務終了後も上司から繰り返し叱責され、接客の練習をさせられる。うつ病になって退職し、生活保護を受けている。若手社員のこのような例もある。

 本来なら働いて税や保険料を納め、社会保障の支え手となるべき若者が、逆に受け手となるのは社会全体の損失だ。・・・こうしたコストを社会に押しつけて、利益を上げようという経営は、あまりに身勝手だ」(9月8日・読売新聞)

聖書には次のような言葉があります。「人にではなく、主(神)に仕えるように、善意をもって仕えなさい。・・・主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。おどすことはやめなさい。」(エペソ6:7-9)

「奴隷」と聞くと、現代の私たちには関係がないと考えてしまいがちですが、先ほどの記事のケースは、現代でもあたかも「奴隷」のような人々がいることを示しています。そう考えると、この言葉は、現代の私たちにとっても意味のある言葉です。

この聖書の言葉が書かれた時代には、文字通りの多くの奴隷がいました。現代では奴隷を「部下」、主人を「上司」に適用して読むことができます。この聖書の言葉は、上司が部下に心を込めて仕えるように勧めています。

奴隷がモノ扱いされていた当時の時代背景を考えると、聖書のこの言葉がいかに革新的な内容であったかが分かります。その証拠の一つを、近年提唱され、世界中の組織で取り入れられている「サーバントリーダーシップ」(上司が部下に奉仕するリーダーシップの形)の中に見ることができます。

聖書は、昔も今も、そしてこれからも私たちに大切なことを教え続けてくれています。その言葉に注意深く耳を傾けたいものです。



(2013年 通巻113号)

 
 
 

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