クリスマスのこの時期、私たちの教会では、毎年恒例のクリスマス降誕劇を行います。大人から子供まで力を合わせて、最初のクリスマス、イエス・キリスト誕生の時の様子を演じるものです。
当時、身重のマリヤはローマ皇帝の命令で、当時の法律に従って夫(実際は婚約者)ヨセフの故郷ベツレヘムに帰って住民登録をしなければなりませんでした。しかし、泊れる場所はなく、イエス様は家畜小屋の中で生まれます。これは劇中で二人を家畜小屋に案内する宿屋のおかみのセリフです。「ちょっとくさいけど、がまんしておくれ・・・」
確かに、暗く衛生的とは言えない場所だったでしょう。何故、救い主がそのような場所で生まれなければならなかったのでしょうか。聖書に、その答えがあります。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ビリピ2:6~8)
私たち人間の世界には、暗く悲しいことがたくさんあります。貧困や戦争、争いや矛盾に満ちたこの世界。聖書は、このような悲惨な世界は、すべての人が神を無視している結果だと教えています。
しかし、同時に聖書には、神様は私たちを愛するがゆえに、ひとり子であるイエス様をこの地上に送ってくださったと教えています。
家畜小屋で生まれるというのは、身を低くし、暗く悲惨なこの世に遣わされた救い主の姿そのものです。
この時期、街ではきらびやかなクリスマスが祝われていますが、最初の静かなクリスマスに思いをはせるひと時としてはいかがでしょうか。
(2012年12月23日発行)
Σχόλια