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「上司を尊敬できない時には」


以前発行したパンフレットでは、職場における人間関係の大切さを考えてきました。良い関係がなければ、仕事が困難となります。良い関係を築くには、私達の相手に対する態度が重要です。もし誰か一人がふさわしくない態度をとるとしたら、良い関係になることはありませんし、問題が起こることも予想されます。

聖書には、様々な人間関係において、どのような態度が望ましいか教えている箇所が多くあります。その中から一つ紹介し、相手に対する態度を振り返って、より良いものにできるかどうかを考えてみたいと思います。また、今後のパンフレットでも、このテーマを扱わせていただきます。

まずは、聖書の第1テモテ6:1から、上司に対する態度を考えたいと思います。この箇所が書かれた時代には、給料をもらっていた従業員が少なかったので、(奴隷)と(主人)の関係について書かれましたが、現代に当てはまるため、書き換えさせていただきました。「(従業員)は、自分の(上司)を十分に尊敬すべき人だと考えなさい。」

全ての上司は、立派な人とは限りませんし、尊敬するのが難しい人もいます。聖書はこのことを認めています。けれども、上司を尊敬しなければ、良い関係ができるはずがありません。上司の欠点、間違いに気づいたとしても、それでもなお、尊敬する必要があると聖書は教えています。

私事ですが、数年前にとても大きな失敗をしそうな上司がいました。私は注意しようとしましたが、充分な尊敬を示さなかった結果、人間関係が悪くなったのです。その後、その上司の下で働くことが難しくなって、どうしようもない状態でした。上司にも責任はあったと思いますが、なんとか上司との関係を回復しようと思い、この箇所を適用し、何があっても、上司に充分な尊敬を積極的に示そうとし始めました。6ヶ月ぐらいかかったのですが、その関係が少しずつ改善してゆき、最終的には良い関係となりました。御自分の上司に対する態度をお考えになり、また最終的な上司となる神様に充分な尊敬を示しているかどうかを考えていただきたいと思います。


(2014年 通巻143号)

 
 
 

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