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「事を探る経営者」


先日、統括者としての自分の経験を振り返ってみる機会が与えられて、次のことを考えました。昨年、広い地域に分散して働いている幾つかのチームを統括することになりました。なにぶんにも、広い地域にわたっているので、頻繁にチームを訪問し、統括するのに必要な情報を全て得ることは難しいのが実情です。ですから、私にとって必要な情報は何であるのかを各チームに伝えておくことにしました。それでも、必要な情報を得られない場合があります。よく探ってみると、それは、何か特別な問題が起こっている時であることが多いのです。問題解決の相談に乗ることも私の責任の一つなので、「知らなかった、把握してなかった」と、私自身が上司に言うわけにはいきません。

聖書では、このテーマが面白い表現で扱われています。「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」(箴言25:2)「王」という言葉を「リーダー」に書き換えれば現代に当てはめることができます。「探る」という言葉は積極的に調べることを意味しています。リーダーには物事を積極的に調べる義務があります。情報収集についても、ただ単に部下に報告を依頼するだけではなく、他の方法も利用し、必要な情報を得ることが大切です。

私が現在試みている方法は、部下から報告を受けたら、例えそれが望ましくない情報であったとしても、まずその部下を励ますことです。情報や問題を報告しやすい雰囲気と習慣を作りたいのです。また、それと同時に、私の部下に対する質問の仕方も変えているところです。もっとはっきりと「今抱えている一番大きな問題を教えてください」と言い、その答えが返ってきたら、次に「他の問題は何ですか」と聞きます。そうしなければ、ある部下は、最初に些細な問題を挙げて、深刻な問題を隠そうとします。本当はしてはいけないことなのですが、残念ながら人間は、そうしてしまいがちです。ですから、リーダーは、部下を訓練すると同時に、深く探る必要があると考えています。

上記の聖句には神様と経営者、統括者、或いはリーダーが対称的にあげられています。それは、神様の存在と人間の存在の違いを表すためです。神様はすべてご存じなので、事を探る必要がありません。また神様は、人間には測り知れない素晴らしい存在なので、神様ご自身が、王が探るべき一つの「事」です。今週は、職場においても、また神様についても「事」を探ってみてはいかがでしょうか。


(2015年 通巻197号)

 
 
 

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