先日の新聞に1997年に経営破綻した北海道拓殖銀行(拓銀)の頭取だった河谷禎昌氏が、大学で講演した内容が掲載されていました。
記事によると、河谷氏は経営破綻の原因として2つの要因をあげていました。第一に「バブル期に融資をチェックする審査部と融資を拡大する業務推進部を一緒にした。業容拡大の力に引っ張られ、審査機能が弱くなって失敗した。」
次に、融資機能を持つ関連会社で、適切な審査を行う体制をつくることができず、不良債権が増えるのを防げなかったことも、破綻の原因として挙げられていました。(北海道新聞2019年11月12日記事より抜粋)
まとめると、組織の活動をチェックする機能をきちんと構築できなかったということでしょう。
実際、企業に限らず組織が健全に機能するためには、内部や外部からのチェック機能が欠かせません。しかし、万全のシステムを作ったつもりでも、しばしば不正や不祥事が起き、時には拓銀のように組織の存続を揺るがすような事態に陥ることもあります。
聖書はこの原因について、本質的な理解を私たちに与えてくれます。かつて、パウロというクリスチャンのリーダーは、次のように正直に告白しました。「私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。」(ローマ7:19)
悪いと分かっていてもしてしまう人間の傾向。これは特定の人にだけあてはまるのではなくて、人間であれば誰にでもあてはまることであると聖書は一貫して指摘しています。
もし当時の拓銀の首脳部が聖書の言葉に耳を傾けていたなら、チェック機能をおろそかにすることはなかったでしょう。そして、あのような破滅的な結果を招かなかったかも知れません。聖書は人間理解のための最適の書です。少しでも多くの方が聖書の言葉に耳を傾けることができますように。
(2019年 通巻378号)
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