先日、以前から気になっていた老舗の飲食店に入ってみました。年季の入ったイスとテーブル、手作りのメニュー表。ここで多くの人をもてなしてきたであろう店の佇まいに落ち着きと食を楽しむ思いがあふれてきました。お店は老夫婦2人で経営されていました。東京から北海道へ移住して何十年もこの地で働かれているそうです。さらに話を伺うと、月曜と年末年始以外はほとんど休みなくお店を開けているとのこと。店に来るお客から「昼も営業しないのか」と言われれば、食べたいと思う人のために店を開け、夜遅くまで営業し、店を閉めて片づけると帰宅は深夜。翌日も朝からお昼の営業に合わせて仕込みをし、お店に来る人を迎える準備をする。人のことを想ってお店を開き続けるご夫婦の姿に、頭が下がる思いでいっぱいでした。
このご夫婦に限らず、朝早くから夜遅くまで働かれている方は日本の社会では少なくないでしょう。休みたくても休めない。そのような労働環境にいる方もいると思います。なぜ自分はこんなに頑張っているのか。長時間働いても、その頑張りが認めてもらえずに働く意力が出ない。そのような時もあるのではないでしょうか。
聖書には、このような言葉があります。
「2羽の雀は1アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の1羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。・・・だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(マタイの福音書10章29、31節)
「あなたがたの父」とは神様のことです。「1アサリオン」とは、1日の労働賃金の16分の1の値です。1日1万円とすると、625円。2羽の雀が1アサリオンなため、1羽だとその半分の300円ちょっととなるでしょう。そのような気軽に手に入る雀の1羽でも、神様に忘れられてはいないのです。
人のためにと精力を注いでも、それ相応の報いを得ることが出来ない時もあります。しかし、あなたのことを想って下さっている方がいます。その頑張りを知って下さっている方がいます。その方のことをあなたも知ってみませんか。
(2017年 通巻287号)
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