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「使命に生きる」


 年度が変わり、新たな仕事に就いた方、また職場が変わったり、変わらずに仕事を続けておられる方もいらっしゃると思います。


 先日、ある報道が目に留まりました。米国の国防省の報道官を退任し、新たにホワイトハウスの報道官になったカービー報道官の退任会見です。


 報道官は、ウクライナをめぐるロシアの報道規制を取り上げ、自由な報道がいかに大切か強調した上で、居並ぶ報道関係者に対し、次のように言いました。「根掘り葉掘りの質問があったからこそ、皆さんは重要で、この会見場は特別だった」「毎日が楽しかったとは言えないが、有意義だったことは間違いない」


 私も報道機関の対応に苦慮した経験があります。時に攻撃的だったり、こちらの意表を突く質問に、的確に対応しなければなりません。米国を代表するという極めて重い立場にあるのであれば、そのプレッシャーは大変なものがあると思います。なるべく手短に答えて場を切り上げたいと思うのが普通だと思いますが、カービー報道官は、厳しい質問が飛び交う記者会見の重要性を強調し、「楽しくはないが、有意義だった」と締めくくったのです。


 私はこの発言がとても印象に残りました。カービー報道官は、たとえ厳しくつらい仕事ではあっても自分の仕事の重要性を認識していました。使命感とも言えると思います。


 自分は何のために働いているのか、自分の生きる目的は何なのか理解している人は、困難な状況があっても強いと思います。反対に日々の仕事に追われ、仕事や人生の目的を見失っている人は、不満がたまりがちになり、意欲が低下する傾向にあるように思います。


 聖書は神様がこの世界を愛し、どのような人にもその愛を現わすための固有の使命を与えていると語ります。人生の目的が分からないという方はぜひ聖書をお読みください。


 「私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)


(2023年 通巻447号)

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