25年以上前に、私は本社で勤務していました。ある時、30代のメンバー4、5人で自部門の次年度の事業計画案を作成することになりました。しかし、部門のトップは「作成せよ」との指示のみ与えて、ビジョンを始め、なんらのヒントすら与えずに定時退社してしまいました。
私たちは徹夜で取り組みました。翌朝、早速トップに資料を見せると、即ダメ出しをいただき、2日目の徹夜に入りました。なぜダメなのか示されないまま次の朝を迎えて、再度資料を提示するも、やはりダメ。しかも、何故ダメなのか、やはり教えてくれません。途方に暮れて3日目の徹夜へ。頭をひねり視点を変えて作り直して、翌朝、やっとトップの了解を得ました。
何故ビジョンもヒントも示されなかったのか、未だに分かりません。善意に解釈すれば若手の自立心を育てる?意図があったのかもしれません。しかし、3日間の徹夜はあまりに非効率で不健康であり、なにより非常に多忙を極める本社業務にあって、空しい時間の浪費であったのは事実でした。
当時のトップの傲慢な姿勢を思い返すと聖書の次の言葉が浮かびます。
"あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。"(マタイの福音書 23章 11~12節)
イエス・キリストは弟子たち一人一人の足を洗ってまで、この聖書の言葉を率先垂範で実践しました。本当に偉い人ほど、謙虚になり、低い者の目線にまで下がることができるものではないでしょうか。
これまでのさまざまな経験からも、そのようなリーダーのいる組織は、生産性が高く、創造性に富み、建設的で、健康的だと思います。
そのようなリーダーこそ良い社会、良い組織を作るのだと改めて思わされます。
聖書には仕事に活用できるヒントが沢山あると実感することがあります。是非少しづつでも聖書を読んでみて下さい。
(2023年 通巻459号)
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