先の見えない時代と言われます。ある民間調査会社の報告によると、10年後の日本経済について、8割超の企業が悲観的な見方をしていることが分かったそうです。
このような時代の中で、将来に明るい希望をもって何かを始めることは容易なことではありません。どの分野でも共通するかも知れませんが、たとえば新しい事業を始めるときなどは、顧客の動向や先進事例などを調査し、事業計画を立てます。
目が向いているのは現在あるいは将来です。このことを考えていた時、聖書の伝道者の書のある言葉を思い出しました。「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない」(1:9)
未来への予測は過去にあったことから学び、生かすことができるということです。この言葉を思い出したとき、目先のことばかり考えていた自分を反省しました。かつてない時代に直面しているように見えても、物事の原型としては過去にも同じような事例があり、成功や失敗を含めて学ぶことができるのではないでしょうか。
一方で、この言葉にはもう一つの響きがあります。私たちが骨折った仕事もいつか忘れ去られてしまうなら、私たちの人生には何の意味があるのだろうか、という問いかけです。
しかし、この書では同時に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(3:11)とし、神とともに歩む人生にある希望を教えています。
聖書は、神は永遠に至る計画の中で歴史を導かれ、その中で私たち一人ひとりの人生もしっかりと位置づけられていることを教えています。人には認められず、あるいは一時的には認められてもやがて忘れ去られたとしても、神に認められ、神に覚えられている。このことを知るとき、私たちは真の人生の意義と希望を見出すのではないでしょうか。
「わたし(神)はあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)
(2012年 通巻 71号)
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