「十分な休息のために」
- Masato Ujiie
- 2013年5月18日
- 読了時間: 2分
今年の連休は、いかがでしたでしょうか。ゆっくり休めたという方もいらっしゃれば、お仕事でお忙しかった方もいらっしゃるかも知れません。聖書は休息についてどのように教えているのでしょうか。
「休息や休暇というのは、あってもなくてもよいものではありません。事実、休息は人間にとって非常に大切なので、十戒にもそれが含まれているほどです(第4戒・下記)。神が安息日を定められたのは、人間の肉体的、感情的、精神的構造上、私たちに定期的な休息が必要であることをご存じだったからです」(リック・ウォレン著「人生の難題はこうして乗り越えよう!」)
「安息日」とは、聖書によると体を休め、神様を礼拝する日です。安息日である日曜日を休日とするのは、キリスト教が起源ですが、日本には明治時代に欧化政策(文明開化)の中で導入されました。現代の日本では、安息日に礼拝を守る、という本来の意味を考える人少ないようです。礼拝を守る意義について、改めて考えてみました。
現代の日本では、安息日に礼拝を守る、という本来の意味を考える人少ないようです。礼拝を守る意義について、改めて考えてみました。
私もよく経験しますが、礼拝の中で聖書の言葉を読み、語られる宣教に耳を傾けることによって、今自分が悩んでいることの解決の道筋を示されたり、自分の思い違いを正されたりします。恐れなくともよいことを恐れていることに気付いたり、思い煩いから解放されることもあります。
「心身のリフレッシュ」という言葉からも、体と心の双方のリフレッシュが必要であることが分かります。体は休んでも、心は思い煩いでいっぱいであれば、休みの効果も半減してしまうのではないでしょうか。私にとって日曜日=安息日とは、精神的な健康を取り戻し、一週間の仕事に備えるための、備えの日でもあります。
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト20:8)
(2013年 通巻96号)
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