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「反省と悔い改めは違います」


 最近の紙面に、某電力会社の役員が自治体幹部から多額の金品を受け取った記事が掲載されていました。記者会見では反省が感じられず、その自己弁護する姿に怒りよりも悲しさを覚えました。そのような時に、或る会社のコンプライアンス(社会規範)の文章が目に留まりました。

「私たちが遂行する業務やお客様との関係において、自分が行おうとしていることが正しいか疑問に感じた場合、自己チェックして下さい」。その後に続く2項目をご紹介します。1.「遂行することを、家族や同僚に堂々と話せますか?」2.「遂行することで誰かを不快にするか、誰かの生命・健康・安全を脅かすことはないですか?」。


 いま世界中で起きている紛争や環境問題、国内の政治倫理、地域社会、学校、家庭が抱える諸問題はこのコンプライアンスの欠如にあるように思われます。それに対して、ことさらに法令遵守を強いるのではなく、一人ひとりの心の中から生じる正義に期待するのは楽観的過ぎるでしょうか。善い行いをしたいと願いつつも、心の中のもう一人の自分が反対して、善い思いが悪い思いに負けてしまう経験は誰しもあります。「誰でもしていることだし、少しぐらいなら大丈夫。誰にも分かりはしないし、見つからなければいいだけだ」と自分に言い聞かせてしまうのです。


 聖書には「罪」という言葉があります。それは元々「的外れ」という意味の言葉で、神様に対して背を向け、自己中心的な生き方をすることだと聖書は教えています。筆者の若かりし頃、ある会社のコマーシャルで「反省だけならサルでもできる」というフレーズが流行したのを思い出します。辞書によれば、「反省」とは「自分のしたことや言ったことなどを振り返ってよく考えてみること」とあります。一方、「悔い改め」とは「今までの悪い行いや考え違いを反省して心を入れ替える、改心すること」と書かれていました。私たちは目に見える犯罪を犯さなくても、心の中で罪を犯すことがあるのです。その時に「反省」だけで留まるか、一歩進んで「悔い改め」をするのか。


 イエス・キリストが宣教を開始して言われた最初のことばは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ書4章)というものでした。聖書から、この「悔い改め」の大切さを知って頂ければ幸いです。


(2019年 通巻377号)

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