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「大切にしたいこと」


最近の新聞に、自動車メーカーによる燃費データーの改ざんが報じられていました。言い訳はどうであれ虚偽であってユーザーの信頼を失った代償は大きくメーカー側にもユーザー側にも不利益なものとなりました。古今東西、ウソ(虚偽)は良くないと教えています。この頃は政治・経済・企業・スポーツ界にウソ(虚偽)について報道を見ることが多くなった気がします。日本人は(恥)の文化を持っていると言われたのはそんなに古いことではないでしょう。他人から疑われただけでも(恥)として自らの身を処した潔さを持っていたようです。私も幼い頃「ウソは泥棒の始まり」と親に教えられた記憶があります。旧約聖書には出エジプト記で神様がモーセを通してイスラエルの民に与えた十戒(十のいましめ)の中で「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」と語っています。では、いつから人間はウソつくことを覚えたのでしょうか?親が教えたのでしょうか?そんな親はいません。友達でしょうか?そんな友達はいません。聖書によると人間は神様によって創造されたもの(被造物)であり神の姿に似せて造られたと語っていますが、ある時、人間は神様のことばを疑って顔を隠し神様から遠く離れる存在になってしまいました。その結果、ウソ(虚偽)で繕うことを覚えてしまったのです。聖書はそのような状態を罪であると語っています。


『主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって あなたの神とともに歩むことではないか。』 旧約聖書 ミカ書 6章8節


人間は、どんなに倫理的に正しく生活していても、心の中に自己中心の思いを抱いている存在ではないでしょうか。問題を起こすと自分の都合に合わせた判断基準をしてしまいがちです。ですから永遠に変わることのない神の基準、真実で正しい(義なる)お方を人生の基として、『あなたの神とともに歩むこと・・』の大切さを聖書は語っています。同時に、聖書の語る神様は恐ろしい神様、厳しく裁くだけの神様ではなくて、罪を赦し愛して正しい道を歩むことを助けてくださる神様なのです。この神様に聞き従い信頼し、ともに歩んで渇くことのない心の内側から湧いてくる新しい命を受け取って頂きたいと思います。


(2016年 通巻237号)

 
 
 

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