6月の第3日曜日は、「父の日」でした。このパンフレットでも、その時に「父の日」のテーマを扱いました。5月の第2日曜日「母の日」と比べると、忘れられがちな日かもしれません。母の日のプレゼントの広告は、大々的に見られますが、それに比べて、父の日のプレゼントは地味、という印象があります。この5月には、私も母にカーネーションを贈りました。私の父はすでに亡くなっているのですが、父の日に何かをプレゼントしたという記憶がありません。
聖書の中に「主の祈り」と呼ばれる祈りが記されています。主イエスがその弟子たちに教えた、模範の祈りです。これは「天にいます私たちの父よ。」(マタイの福音書6章9節)という、神さまへの呼びかけで始まります。神さまのことを「父」と呼ぶことに抵抗感を覚える方もおられるでしょう。「私たちの父」というと、この世の父のイメージが先行してしまい、間違った父のイメージを抱いてしまう恐れがあります。
職場の男性上司に、理想的な父の姿を見る方はいらっしゃいますか。逆に苦手な上司に、横暴な父の姿を重ねてしまう方もいるでしょう。職場の人間関係に、幼い頃の親子関係が影響していることもあり得ます。
ここで「私たちの父」の前に「天にいます」という言葉があることに気づきます。「天にいます」というと、雲に乗り、杖を持って、白いあごひげを生やした仙人のようなおじいさんを、思い浮かべてしまうかもしれません。聖書が語る「天にいます父」は、私たちの必要を知っておられ、しかも私たちの理解を超えた、全知全能の神です。子どものことをいつも見守り、愛してやまない、理想的な父の姿が書かれています。
「主の祈り」は、キリスト教会の礼拝の中でも唱えられる、有名な祈りです。教会では、「天にいます私たちの父」に向かって、心から祈るということをします。「主の祈り」の初めの呼びかけで、「神の子」とされた喜びを思い起こします。何かと忙しい現代社会ですが、思いを「天」に向けてみてはいかがでしょうか。八方ふさがりに見えても、「天」は開いています。皆さんもぜひ、聖書に書かれた「天にいます父」について知って下さい。
~いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神(=イエス・キリスト)が、神を説き明かされたのである。~(ヨハネの福音書1章18節)
(2017年 通巻284号)
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