最近、ある子どものための施設の職員の方々と関わりになる機会がありました。その施設ではさまざまな事情で親元で暮らせない乳幼児が暮らしています。
子どもにとって特定の人との親密な関わりは、その子の心が健全に育つためにとても大切と言われています。通常の家庭では親がその役割を果たしますが、家庭で暮らせない子どもは施設の職員がその役割を果たすことになります。
私は施設に伺う前はある先入観を持っていました。職員が親の役割を果たすと言っても、集団の中ではなかなか親密というところまで手が回らない。施設入所はなるべく短い方がいいのでは?というものです。
ところが施設に行ってみると、子どもの健全な育ちのために多くの専門職の方が手厚いサポートを行っているのが分かりました。施設によっても違いがあったり、「手厚いサポート」がすべての点でよいかどうかは、また別の問題とは思いますが、私は浅い自分の先入観を思い、軽々しく分かったつもりになってはいけないと思わされました。
多くの分野で皆さまも同じ経験をされているかも知れません。世の中には自分が知らないたくさんの領域があり、外側からだけではそこで行われている事柄はよく見えないものです。「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、いろいろな情報を聞いて分かっているつもりになっていても、実際にその中に入って見たり、経験することでその世界の深みを知ることができます。
ところが、実際にはその世界のことをよく知らないのに、私たちは先入観で物事を判断してしまいがちです。
聖書にはイエス様の次の言葉が記録されています。「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」(マルコ10:15)
子どもは大人ほどに先入観を持っていません。「決してそこに、入ることはできません」とは警告の言葉です。私たちの理解や知識はどこから得たものでしょうか。それは果たして本物でしょうか。聖書の言葉に接する際も、子どものように素直に、謙遜な心で向かい合うことの大切さを教えられます。
(2016年 通巻250号)
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