デパートの貴金属売り場には、様々な宝石が並んでいます。どれも高価なもので、金や銀、ダイヤモンド、サファイア、真珠など、いわゆるこの世の宝物です。それらの宝物はどこから来たのでしょうか。地の下の深いところ、私たちの知らないところからです。人はその宝物を探すために、時間と労力を惜しまず、あらゆる努力をします。その結果、見つけることができた人には大きな喜びが与えられ、大金を手にすることができるのです。
しかし、聖書は次のように言っています。真の宝物はそれらの宝石などではなく、「知恵」であると。そしてその「知恵」は高額なお金を払わずに、手に入れることができるものであると。それでは「知恵」は、どこにあるのでしょうか。聖書は「それは生ける者の地では見つけられない。」と言っています。深い淵や、海も「私のところにはない。」といい、全ての生き物の目に隠され、空の鳥にもわからない。それでは、その「知恵」の価値はどれほどのものなのでしょうか。その価値は、地上のどんな宝石をもってしても、得ることができないほどの価値があると聖書は語っています。
昔、ソロモンという王さまがいました。この王は歴史上の人物の中の誰よりも、莫大な財産を持っていました。その王が「知恵」を求めたのです。「知恵」の真の価値を知っていたからです。その「知恵」を聞きたいと願い、シェバの女王をはじめ多くの人が、ソロモン王のところにやって来たほどでした。イエス様も、野のゆりを見て「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」と話し、莫大な財産を持つソロモンよりも、ゆりの花を美しく装った神と神の知恵に目を向けるように教えているのです。
それでは「知恵」のありかを知っているのは誰なのでしょうか。聖書は、すべての被造物を造られた「神」だけが知っていると語っています。「神は知恵を見て、これを見積もり、これを定めて調べ上げられた。」と書いてあります。「こうして、神は人に仰せられた。見よ。主を恐れること、これが知恵である。」
あなたも、真の宝物である「知恵」を求めて聖書を読んでみませんか。そして「知恵」を手に入れていただきたいと思います。
(参考:ヨブ記28章)
(2012年 通巻 37号)
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