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「平和が足りないからこそ」


先月、平和の祭典であるオリンピックが行われました。それぞれの国の威信にかけて熱き戦いが繰り広げられ、日本の獲得したメダルの数は過去最高となりました。皆様の中にも活躍する日本選手の姿を生で見ようと、夜遅くまでテレビ観戦した方も多いのではないでしょうか。今回のオリンピックでは難民代表の枠が加わり、戦争によって祖国を追われた選手たちが自国の平和を願って参加し、改めてオリンピックの意義を考え、平和を訴える良い機会となりました。

一方でここ最近は、オリンピックによる経済効果を期待して開催候補国による招致合戦が激化しているのも事実です。次回のオリンピック開催に成功した日本では、当初の予算に比べて実際にかかる費用が大幅に増え、一体誰がその費用を賄うのか、他に優先して支出されるべき問題が山積みではないのか、などと疑問視する声があります。今回行われたブラジルでも、誘致決定から自国経済が悪化し、オリンピックどころではないという機運が高まって、オリンピック開催中も市民による反対運動が続いていました。

確かにリオオリンピックの最中でも戦争に巻き込まれている国々があり、そこでの惨状を報道する映像や画像を見て、心を痛める人も多かったに違いありません。しかしそのような世の中だからこそ、4年に1度、政治的な戦いではなく、スポーツによる平和的な戦いを通して、国々の代表選手が互いの健闘を称えあい、世界の平和を願う機会があることに、オリンピックの意味と必要性があるのではないでしょうか。

残念ながら、国々の間だけではなく、職場や家庭でも人と人との間の不信感や憎しみがあります。聖書の中にこのような箇所があります。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」(マタイの福音書5章9節)。平和を作ることはオリンピック選手の責任だけではなく、「私」がいるところに「私の」責任があると言っています。また聖書が教える本当の平和は、人と人との間のものだけではなく、人とこの世界をお造りになった神様との間の平和です。イエス・キリストによる赦しを受けることによって、私たちは神様と和解することができます。今週、皆さんにも、たとえ小さなことであっても、平和を作る機会が訪れるでしょう。その機会をどうぞ見逃さないでください。そして神様と和解して、本当の平和を受けてみてください。


(2016年 通巻249号)


 
 
 

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