私は、なぜ人間はいつも争い憎み合うのだろう、とよく考えます。人間の長い歴史の中で戦争がなかったことはありませんでした。その多くは、資源や富を求めて外に攻めて行くものでした。日本は領土が狭く資源を持たないために、他のアジア地域にその資源を求めて攻めたことが過去にありました。そしてその過程の中で、その土地に住む人々に対する残虐な行為があったために、アジアの国々の中には日本人を憎んでいる人たちが今もたくさんいます。
中近東での争いは、長年の間に積み上げられた、お互いに対する憎しみが根本にあると私は思います。争いによって自国を追われ、そしてそれを取り戻すと、今度は相手が今まで住んでいた場所を追われることになります。その繰り返しの中で多くの命が奪われ、大切な人を失った人たちは、殺した相手を憎むようになります。
穏やかに暮らしたいと思う人たちもいるはずです。それでも様々な主義・教条を掲げて争いを主導する人たちに、武器を供給することで富を得る人たちが絡み、終わりのない戦いが続きます。そして犠牲になるのはいつも弱い立場にある女性や子供たちです。
憎しみからは何も生まれないと、きっと心の中では誰もが気づいているはずです。私は殺したいと思うほど誰かを憎んだことはありません。ですが苦手な人はいます。そして自分が苦手だと思っている人は相手も同じように思っており、その関係を打開するには、自分が相手を苦手と思わず、積極的に友好関係を築く以外に方法はありません。
聖書の言葉に次のような部分があります。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくれるからです(マタイの福音書5章44~45節)」
この聖書の教えを守ることで、いつか平和な世界が訪れることを、私はいつも祈っています。皆様も、一人ひとりがこの教えを守り、職場でも、地域社会においても実行してみるとよいのではないでしょうか。また人々を祝福しようとしている神様も覚えて、彼の助けを得ながら実行してみることをお勧めします。
(2015年 通巻191号)
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