今年は戦後70年ということで、戦争を振り返るさまざまな企画が新聞やテレビなどで取り上げられました。先の太平洋戦争での犠牲者は、日本人だけで約310万人、戦争が行われたアジア・太平洋地域の犠牲者は約2,000万人とも言われています。
戦後、日本は平和国家としての歩みを続けてきました。日本は戦前とは全く違う国に生まれ変わったと言う人もいます。戦前・戦中と戦後の日本に関するさまざまな分析や意見を聞く中で、次の記事に目がとまりました。
「一年間に失われる胎児の生命は届け出数だけでも22万。そのうち十代の中絶件数は約2万1千件。実数はその二倍とも言われ、戦後60余年に葬り去られた生命は7,600万に上るといわれます。児童権利条約には『児童はその出生の前後において、適当な法的保護及び世話を必要とする』と書かれています。お腹の胎児は人間です。流された7,600万には、7,600万のそれぞれの人生がありました。・・・」(生命尊重ニュース-発刊にあたって-)
戦争中よりもはるかに多い命が、平和国家としての歩みの中で失われてきました。生まれてくれば、それぞれ尊い人生があったはずです。戦争の悲惨さに目を向ける戦後70年のこの時、戦争に勝るとも劣らないこの問題にも目を留めたいと願います。
戦時中は「命は鴻毛(こうもう)より軽し」と言われました。国のためには人の命は鳥の羽よりも軽いという意味だそうです。そのような命を軽んじる価値観が、形を変えて知らず知らずのうちに私たちの中に残っているのかも知れません。その価値観は企業などの組織で、また家庭や学校など至る所で顔を出しているとは言えないでしょうか。
平和国家と言われる中で軽んじられ、また失われる多数の命。私たちはこの矛盾に気づくべきではないでしょうか。聖書はそのような私たちに問題の所在と解決に至る道を教えてくれます。
「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。」(詩篇19:12)
(2015年 通巻203号)
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