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「待ち望むということ」

最終更新: 2019年12月1日


 2019年も早いもので、もう12月。12月といえばクリスマス。クリスチャンがごく少数の日本でも、クリスマスだけは「イエス・キリストの生まれた日」として市民権を得ているようで、11月も半ばを過ぎると、華やかなイルミネーションや楽し気なクリスマスソングが街に溢れます。


 クリスマスはキリスト教の大事な記念日ですが、「アドベント(待降節)」も大切に守られてきました。最近では日本でもきれいなアドベントカレンダーが出回るようになりました。アドベント(待降節)は毎年12月25日の前の4つの日曜日を含む約一か月のことで、2019年のアドベントは12月1日(日)から始まります。やがて救い主を遣わすという神の約束が実現することを待ち望んだイスラエルの人々の心を思い、多くのキリスト教の教会では、アドベント第1週目の礼拝から毎週1本ずつろうそくの灯を増やして、「まことの光」である救い主の誕生を待ち望む心を具体的に表します。


 今から約2700年前、イスラエルの預言者(神のことばを預かって語る人)イザヤは、長い間幾世代にも渡って自分たちをこの苦境から救い出してくれる力ある王の到来を待ち望んでいたイスラエルの人々に、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。」と語りました。しかし、その預言が成就するまでに更に700年の時を待たなければなりませんでした。イスラエルの人々は待ち望むことに疲れて、「私の道は主に隠れ、私の訴えは私の神に見過ごされている」(イザヤ40:27)と言いたくなることもあったことでしょう。


 私たちも時には、長い間待ち望んだ願いがかなえられず、待ち望むことに疲れ諦めてしまったり、結局人生の終わりが「死」であるならば何を待ち望んだらよいのか、と思ったりします。


 しかし、神は語ります。「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼 を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)


 望みがかなえられたから力を得るのではない、「主を待ち望む者」に力が与えられる。「主」とは誰か、なぜ力が与えられるのか。


 クリスマスを待ち望むこのアドベントの季節、あなたも聖書を開いて神が語ることに耳を傾けてみませんか。


(2019年 通巻379号)

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