今の世の中は、先の見えない不安な世の中です。世界規模で見れば、人口増加、環境破壊と異常気象、資源の枯渇、テロの脅威、難民問題、ネット犯罪など。また日本だけで見ても、少子高齢化、国の債務増加、貧困層の拡大、凶悪犯罪の増加、経済の一極集中と過疎など、数え上げればきりがありません。そしてそれらの問題はそれぞれ独立した問題ではなく、複雑に絡み合っていて解決が困難です。
私個人にも心配事がたくさんあります。私はちょうど半世紀を生き、そろそろ老後のことを考え始めるようになりました。年金が当てにならないと言われる世代なので、年金生活に入る前に十分な蓄えができるのかが心配です。また私は両親と同居しているのですが、今でこそ健康な二人も、今後介護が必要になった時、果たして仕事と介護を両立できるのかも心配です。
つまらない心配事も山ほどあります。最近お腹が出てきて、何を着てもみっともなく見える。膝が痛くて階段を上がるのが辛い。生徒の名前が咄嗟に出てこない(私の職業は教員です)。週末の学校説明会の準備が出来ていない。それ以前に明後日から始まる期末試験の問題がまだ出来ていない。この文章を書きながら、ますます心配になってきました。
マタイの福音書第6章34節にはこう書かれています。「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります。」私はこの聖句が大好きで、心配事があるときにいつも思い出しています。もちろん、何も努力しないで明日の心配事が解決されるわけはないのですが、やれるだけのことをやれば、あとは神様を信頼して、神様が支えて下さる、そう考えると気持ちが落ち着いて、安心して床に就くことが出来ます。このパンフレットを読んで下さっている皆さんも、もし心配事があるときには是非この聖句を思い出してみてください。
(2015年 通巻208号)
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