30年以上も会社勤めをしていると、いくつもの職場で、本当に様々な人々との出会いがあるものです。このたびは、仕事の知識や技術に本当に長けている人との出会いのたびに思うことから感じたことを書かせていただきます。このような人は、いわゆる「仕事ができる人」です。
そのような、仕事ができる人の中には、知識、技術、仕事の進め方、どれをとっても非の打ちどころがないような人もいます。私はそのような人には称賛と敬意を覚えます。個人的にはそのような優秀な人に憧れたりもします。
ただ、残念なことは、そのような優秀な人の中には、自らが知識や技術に長けていて仕事ができるゆえに、他の人を批判的に見たり、見下したりする人もいることです。このような姿から、反面教師として、また自分自身への警告として、聖書のことばを思い起こします。
聖書には次の言葉があります。
"たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。" (コリント人への手紙第一 13章 2節)
これはパウロというキリスト教の使徒がコリントという地域にある教会にあてて書いた手紙の一節です。パウロは「知識があっても、愛がないなら無に等しい」と断言しています。
仕事上の知識や技術を研鑽するのは大切なことです。しかし、愛が無いなら、言い換えれば、他者に対する寛容さ、親切心、謙虚さ、礼儀を失わない態度、相手の益になるような考え・行動、多少のことは許容する忍耐、等がないなら無に等しいと言っているのです。
仕事はチームプレーです。愛がある組織、チームには、創造性、積極性、持続性、生産性・・・様々な相乗効果が期待できると思います。
それゆえ、人間社会ならどこででも -学校でも、会社でも、家庭でも、教会でも、電車の中でさえも!- 愛を忘れずに歩みたいと思うのです。
(2023年 通巻450号)
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