top of page

「担い過ぎず、頑張りすぎず」


今から3000年ほど前、イスラエル王国の王ダビデが死んで、ソロモンが王となりました。数年後、再び「こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった」(列王記第一4章1節)と書かれています。実際に王となったソロモンを見て、多くの人が、よい王として認め、名実ともに王となったという意味であるようです。

私たちのまわりにある、高い地位や立場、大切な職業についている人々のすべてが皆、その地位や立場や職業にふさわしい人物かどうか、疑わしいことがあります。この点でソロモンは、父ダビデが死ぬとすぐに王にはなったのですが、いくつかの実績によって(3章等)、多くの人々から認められるようになったことがわかります。ソロモンが、全イスラエルの人々から見て、名実ともに王として受け入れたことを、4章1節のことばは私たちに教えてくれています。

ソロモンがイスラエル全土に十二人の守護を置いて責任を分担させたという記録もあります。「守護」を「知事」と訳している翻訳もあります。北海道では、高橋はるみ知事が四期目の当選を果たしました。現代では選挙で選ばれる知事のような人を、今から3000年も前のソロモンの時代には、王様が任命して、その働きに当たらせたことがわかります。自分の一人で、何でもするのではなくて、自分に与えられた権限を、ふさわしい、ほかの人に委ねて、自分の責任を果たす、というやり方をソロモンは、上手に採用していたことがわかります。

人が一人で担える働きの量には限りがあります。責任を分担しそれぞれの役割を担うことは聖書の原則でもあります。この聖書個所に題をつけるとしたら「担い過ぎず、頑張り過ぎず」ということになるかもしれません。各家庭で、職場で、また様々な人間関係の中で、その地位、立場、役割にふさわしい人を信頼して、それぞれの人に責任を委ねることの大切さを教えられます。


(2015年 通巻198号)

 
 
 

Comentarios


© 2018 札幌希望の丘教会. Wix.com

bottom of page