先月、新入社員をめぐって「5月病」のことを取り上げました。今回は新人を迎える側のことを取り上げたいと思います。職場によっては新人を雇わないところもあるようです。しかし、私自身のことを考えると、先輩の誰もが「越えられない壁」として存在していた新人の頃、人に教えられなければ何もできなかった頃を思い出します。
社会で経験を積んでくると、人に教えてもらうこと、人に仕えることが難しくなります。新人のころはどんどん情報を吸収していたのに、「最近、頭が堅くなって・・・年のせいかな」と年齢のせいにしてしまう。実は、自分の経験やプライドによって堅くなった心が、新しい情報を受け入れるのを拒んでいる可能性はないでしょうか。
聖書にはこのような言葉があります。「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」(ローマ人への手紙12章10節)
私はこの言葉を聞くたびに、自戒を込めて自分の状況を点検します。無意識に他人と自分を比較してしまう自分がいるからです。経験に裏打ちされた「健全な
自信はしばしば仕事を円滑に進めるのに役立ちます。しかし、その自信がプライドになってしまうところに落とし穴があると思うのです。
聖書は、人に仕えるのが人間の本来のあり方であると教えています。これは、上司になっても、変わらない心構えです。
自分が中心になって、プライドで満たされていると、時として他人の意見や忠告を受け入れることが難しくなったり、柔軟な心で決断する妨げとなったりすることはないでしょうか。聖書の言葉はいつも自分の状態を点検するのに役立ちます。HFBでは、「聖書研究サービス」なども用意しています。聖書を学んでみたいという方にお勧めです。皆さんの申込みをお待ちしています。
(2012年 通巻 48号)
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