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「本当の安息を得るために」


この原稿が発行されるのは、連休が終わった頃だと思います。今年の連休はいかがでしたでしょうか。ゆっくりお休みされたという方、レジャーで疲れてしまった?という方、その一方でお仕事で忙しかった方など、さまざまだと思います。

聖書では本当の「安息」について教えられています。ストレスの多い現代社会に生きる私たちにとって、安らかに休むことは共通した願いと言えるのではないでしょうか。ところが、人は誰でも安らかに休みたいと願いながら、実は安息を経験できない場合が多いのです。

なぜなのでしょうか。人は体を休めることができても、心が休むことなしには本当の安息を得られないからです。聖書は本当の安息は、神様だけが与えることができると教えています。

「こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。・・・信じた私たちは安息にはいるのです。」(ヘブル4:1、3)

 私たちは、さまざまな楽しみやレジャーの中で、あるいは自分の努力でその安息を得ようとしますが、この安息は人の努力で得ることはできないと聖書は教えています。

本当の安息を得ようとする人は、神様の言葉である聖書の中に解決を見出すように勧められています。先ほどの聖書の言葉には「万が一にもこれ(神の安息)にはいれないことのないように・・」とあります。神様が与える安息を得ることは「万が一にも」逃してはいけない大切なことであることが分かります。

この本当の安息を得るために、聖書を読まれてはいかがでしょうか。どのように読んだらよいか分からないという方には聖書研究サービスのご利用をお勧めします。


(2015年 通巻190号)

 
 
 

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