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「目を縫は(ぬわ)れたる鳥」


10月7日のパンフレットで、パトリック・マケリゴットさんのライフワークである小林一茶の俳句を紹介しました。マケリゴットさんは、NHKのテレビ番組に出演したこともある、宣教師です。今回も、一茶の句とマケリゴットさんの解説を紹介します。まず俳句です。

「花さくや目を縫は(ぬわ)れたる鳥の鳴く」

咲いているきれいな花と目を縫いつぶされている鳥が対照的です。ただし、この句を初めて読む人にとっては、「目を縫はれたる鳥」については説明が必要です。

一茶の時代に、高価な料理屋では、あひるなどの鳥が逃げられないように、目を縫いつぶしたそうです。あひるの場合は、料理屋の庭の池に飼い、餌を与え、太らせたようです。あひるはうるさく鳴いたようですが、どうすることもできません。狭い世界に閉じ込められ、きれいな花を楽しむことが出来ず、やがて殺され、食卓にのぼります。

マケリゴットさんによると、この句は人間の存在について考えさせられるというのです。文字通り目が縫いつぶされている訳ではありませんが、私達の毎日の生活の中で、心の目がつぶされているようなことがしばしばあるのではないでしょうか。日常生活の忙しさで、この世界の中にあるたくさんの美しいことを楽しむことができなくなっていることがあります。仕事のストレスや他の問題のために、目の前の問題しか見られなくなってしまうのです。これでは、あのあひるのようだ、とマケリゴットさんは言うのです。

聖書によると、ある意味で、私達人間は皆、目を縫いつぶされている鳥のようである、と教えています。罪に目がつぶされて、すべての美しいものの与え主、源である神様を見ることができなくなっている、と教えています。「罪」とは全ての人間の中にある悪です。「罪」とは神様を無視することを意味します。そのままの人間は最後は死に至るほかありません。しかし、聖書の良い知らせでは、イエス様を信じると目が開かれ、神様の存在と神様が与えてくださるすべての美しさを楽しむことができるようになるばかりか、永遠の命に至る新しい存在に変えていただくことができます。どうぞ、HFB聖書研究サービス(無料)を通して、この新しい存在について考えていただきたいと願っています。 


(2012年 通巻 75号)


 
 
 

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