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「目標を目指して」


 先月、バレーボールのネーションズリーグ(NL)にて、日本の男子チームが大会史上初の銅メダルを獲得しました。強力なサーブと多彩な攻撃で相手チームを翻弄する姿は圧巻のプレーでした。恥ずかしながら筆者はバレーボールには疎く、チームのメンバーの名前を見ても知らない選手ばかりでした。しかし、今大会の成績の要因は、紛れもなく才能豊かな選手が集まっていたことと、個人技だけではないチームとして攻守ともに機能していたことが挙げられるでしょう。そしてそこに至るまでには、選手それぞれが目標を目指して努力と練習を積み重ねてきた時間があったことと想像します。


 スポーツに限らず、日々の仕事においても目標を目指して動くことが多々あります。何のために、どこを目指して働くかが定まっていなければ、その日その日の仕事はこなせても、壁とぶつかる度に歩みを止めてしまうことになります。

 これは私たちの人生においても同じことが言えます。何のために生きているのか、どこを目指して歩んでいるのか、明確な人とそうではない人とでは人生の歩み方は大きく異なるのです。

 聖書において、使徒パウロはこのような言葉を残しました。

 「私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。」

コリント人への手紙第一9章26節

 パウロは人生を競技にたとえながら、決して朽ちない冠を受けるために自分に与えられたいのちを神と人のために用いて生きようとしていました。彼もまた、目標を定めながら今自分にできることを考え行動していたのです。

 あなたは、何を目指して歩まれているでしょうか。今職場で働いているのは、何のためでしょうか。掲げた目標の先にある人生は、どのようなものでしょうか。事あるごとに自分の歩みを振り返っては、これらのことを思い起こす時間を持つことをお勧めします。

 そして聖書には、私たちの人生の先にあるものについても教えています。パウロが目指していた朽ちない冠もその一つです。「私たちの人生とは何か?」ということも含め、聖書から学ぶことも、目標を明確にして人生を豊かにする一つの秘訣です。

(2023年 通巻455号)

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