先日、七飯町で両親に「しつけのため」として車から降ろされた後、行方不明になった7歳の男の子が、6日ぶりに保護されました。また先月には、金沢市で、小学2年生の男の子が「宿題をしなかったことへの しつけ」という理由で、母親に山道で置き去りにされ、一時行方不明になっていたニュースも報じられました。
「しつけ」は、子育てにおいてだけではなく、会社にとっても人材育成の面で大事だと言われます。しかし、あまり厳しくしつけをすれば、社員の心が折れたり、あるいは反発するなどして、結果的には良いチームにならないかもしれません。一方、優しくし過ぎて、社員を甘やかすなら、人材育成にならないどころか、会社にとって損失になるかもしれません。それが現実です。
私がかつて働いていた会社で、ある時、業務開発に伴い、社員を一人募集しました。入社して来た新人は、先輩の私が年下であることから、私が教えることを真剣に聞かず、メモも取らないなど、高慢な態度をとる人でした。ある日私は、人材育成の一環として、彼のマナーを注意しました。その翌日、彼は会社を辞めました。
その後、再度募集した新人社員は、私より年上で、貿易についての経験も豊富でしたが、教えられたことを真剣に聞き、しかも、「もし何か間違ったことがあれば、ぜひ言ってください」と謙遜に言う人でした。いつしかその新人は、私の良い仕事仲間になりました。
私が経験したことは、聖書には次のように書かれています。「あざける者を責めるな。 おそらく、彼はあなたを憎むだろう。 知恵のある者を責めよ。 そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。知恵のある者に与えよ。 彼はますます知恵を得よう。 正しい者を教えよ。 彼は理解を深めよう。」(箴言9章8-9節)
「あざける者」には、招いても、教えても、無駄だと言われます。戒めや注意を聞けば聞くほど心を閉ざし、憎しみを募らせてしまいます。反対に、知恵のある者に教えるなら、彼はあなたが教えることを尊敬し、ますます知恵を得るということを示しています。
職場で、いろいろな悩み事を抱えている時に聖書を読むと、暗闇に差す一筋の光が見えるように感じることがあります。皆さん、どうぞ、聖書を読んで、神様から知恵のあるしつけを学んでみませんか。
(2016年 通巻239号)
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