多くの職場で、プレゼンテーション能力が欠かせない時代になりました。現代は便利なプレゼンテーションソフトやさまざまな周辺機材があり、視覚的にも効果的な方法で、人々に分かりやすく情報を伝えることができます。
聖書が書かれた時代には、現代のような便利な道具はありませんでしたが、人々の周囲の自然の営みや身近な生活などの豊富な例を用いて、聖書自体が分かりやすく書かれています。イエス・キリストのたとえ話は有名です。人々は毎日目にする自然や生活上の出来事から、聖書の語るメッセージを視覚的に、分かりやすく思い浮かべることができたことでしょう。
私たちはさまざまな効果的な手段を用いて、人々の理解を得ることを期待します。しかし、いくら分かりやすい話をと心がけても、必ずしも相手に通じるわけではありません。このような時、伝え方が悪かったのかと思い悩むこともあります。聖書は、聞く側の人々の心の態度に問題がある場合もあることについて教えています。
「あざける者は知恵を捜しても得られない。しかし悟りのある者はたやすく知識を得る。」(箴言14:6)
「あざける」とは、辞書を引くと「ばかにして笑う」とあります。確かに、すばらしい知恵や知識があっても、始めからそれを軽んじる高慢な態度では、自分から垣根を作っているようなもので、その内容を自分のものにすることはできません。
一方で「悟りのある者」、自分に足りないところがあることを認めて、謙虚に聞こうとする人は、たやすく知識を得ることができると教えられています。
このように聖書は、聞く側には、二種類の心の態度のあることを教えてくれています。どちらの態度をとることが賢明であると言えるでしょうか。
(2013年 通巻109号)
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