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「神様の布石」


布石とは囲碁のことばで、辞書によると「序盤における石の置き方。将来に備えてあらかじめ打たれた一手。」などの意味があるようです。つまり石の置く位置によって、将来の展開が変わってくるということです。

人は人生において、布石となる出来事が、必ずあるのではないでしょうか。この場合の布石とは、ある特別な人との出会い、書物や胸を打つことばとの出会いなど、それがあるおかげで今の自分があると、後になって、はっきりと分かるものを意味することになります。

星野富弘さんの最新の詩画集「あの時から空がかわった」の中に「神様の布石」という文章があります。その中で星野さんは高校一年生の時に、山間の小さな村を歩いていると、突然目の前に白い十字架が現れた時のことをめぐって「神様の布石」について書いています。その十字架には「労する者 重荷を負う者 我に来たれ」という不思議なことばが書かれていました。「我に来たれ」とはどういうことなのだろう。星野さんの心の中に、刻まれるように残ったことばだそうです。

その日から二十年を過ぎた頃、大怪我、入院、退院後に書いた星野さんの本の中に、自分たちの建てた十字架のことがあったのを見て、星野さんを訪ねたご夫妻がいました。ご夫妻の話で、あの十字架は、生後八か月で亡くなった息子さんの遺骨を納めた墓の上に建てたものであったことがわかったのだそうです。

このパンフレットが発行される頃は「星野富弘・花の詩画展in札幌」が終わった頃でしょうか。筆者は、このたびの詩画展の実行委員の一人です。同じ実行委員の仲間の中で、星野富弘さんと不思議な出会いをし、現在も深い関わりを持っている人がいます。

人生には必ず布石があります。そしてその石が「神様の布石」であることに気づくなら何と素晴らしいことでしょう。詩画展を訪れることができなかった方は、ぜひ詩画集を手にとって読んでみてください。その中には必ず忘れることのできない詩画との出会いがあることでしょう。そしてその出会いが「神様の布石」であることに気づきますようにと、心から願うものです。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)


(2016年 通巻240号)

 
 
 

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