大相撲、横綱(稀勢の里)の優勝は多くの人々に大きな感動を与えました。勝負に奇蹟があるとすれば、これこそがと思わせた名勝負であったと思います。12連勝後のアクシデントによる連敗、そこからの逆転優勝は千秋楽の本割、優勝決定戦とあまりにも重いものでした。満員札止めの場内から地鳴りのような拍手が湧き、祈るように涙を浮かべるファンもいました。「目に見えないものに力をもらった」「(勝因は)支えだった。」と優勝後に語ったことばが印象的でした。また場所前稽古の弟子たちに対する感謝も忘れてはいませんでした。優勝を決めて花道を去る一瞬、横綱の視線が桟敷席の父親に走ったのは無言の感謝に見えました。感動した読者の新聞投稿を読みました。「13年前、まげも結えなかった若者が兄弟子にぶつかっていっては土俵にたたきつけられていたのを見た。若者は(萩原)と呼ばれていた、今の稀勢の里である。天賦の恵まれた体に強靭な精神力が宿り大輪の花を咲かせた。・・とても人間業とは思われない」と結んでいました。並外れた忍耐、努力によって日々訓練され培われた稀勢の里の品性は多くの日本人の心を鷲掴みにするものでした。しかし同時に、目標を目指して歩んだ人は人間の力には限界と弱さがあることも体験しています。だからこそ稀勢の里は自分の力をすべてとは思わず、「目に見えないものに力をもらった」と語ったのでしょう。
聖書は、目に見えない力とは唯一無二の天地万物の創造者なる神であることを語ります。すべての人間は、この目に見えない存在すなわち私たちの毎日を支え導いておられる生けるまことの神の下で「生かされている者」にすぎません。神に生かされているからこそ、私たちは今日という時間をどのように精一杯使って、神が願っている自分らしさを磨くかを考えることが大切なのです。
あなたは稀勢の里や華々しい活躍をする有名人に遠く及ばないと思うでしょうか。そんなことはありません。聖書は、すべての人間が輝くべき「神の作品」という特別な存在であることも語っているからです。聖書の約束を信じて生きる時、あなたにはあなたにしかできない素晴らしい生き方があることを教えるのです。
「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2:10)
私自身の体験ですが、聖書のことばは、私たちの内側(心)に働いて目に見えない力を与え人生を善きものに変えてくれるのです。是非、聖書を手に取ってお読み下さるようお勧めします。
(2017年 通巻273号)
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