最近私は仕事で、ある人材募集に関わることになりました。私の役割は、直接応募者に会うのではなく、実際に面接を行った面接官の報告書に書かれている採用合否についての所感と、その理由を確認することでした。この仕事を引き受けた事は、結果的には私自身を省みるきっかけになりました。
ある日、応募者二名の履歴書が届きました。学歴優秀なAさんと、普通の学歴のTさんでした。「ジャー決めやすいナー」と思いながら、面接官の報告書を読んでみたら、なんと面接官の判断は、学歴が普通のTさんをすぐ採用して、学歴優秀のAさんとは、再度面接をするということでした。その理由は、Aさんは自分の能力に強い自信を持ってはいたが、聞く耳は持っていなかった。一方Tさんは、自分の能力を生かすには経験者から教えられる必要があると、謙遜で良い態度を示したからでした。Aさんとの2回目の面接は、他の人からの助言や注意を謙虚に受け入れられるかどうかを確認するためでした。
私は、「良い学歴の持ち主なら、仕事も学ぶことができるのではないか?」と、正直少し疑問も感じました。けれども、次の聖書の言葉を考えると、やはり面接官が正しいとわかりました。「悟りのある者を一度責めることは、愚かな者を百度むち打つよりもききめがある。」(箴言17:10) この箴言は二つのことを教えてくれると思います。一つは、知恵のある人かどうかは、他人から注意を受けた時の態度から知ることができる。もう一つは、そのような知恵を持たなければ、何をしても改善することがなく、成長も見込めないという事です。その人を訓練する側も限界を感じるでしょう。
これがきっかけで、私も、自分自身を省みることになりました。「私は、どれほど人の注意や苦言に対して、聞く耳を持っているだろうか?」と考えさせられました。最終的には、与えられた助言を真摯に受け止める事ができるよう、謙遜で柔らかい心を与えて下さるように、神様に祈りました。
実はこの聖書の言葉には、更に大きな意味があると思います。神様が人間一人一人に「あなたは罪人であり、私からの赦しが必要なのだから、それを求めなさい。」と語っておられます。悟りのある者はそれを聞くのです。HFBでは聖書に関する基礎の学びを提供しています。どうぞお申し込みください。
(2017年 通巻289号)
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