私は80代の両親と暮らしています。母は健康に恵まれハツラツとしていますが、父は耳が遠く、また記憶力や判断力も弱ってきているので、3人で一緒に話をしていてもよく頓珍漢なことを言って、それが耳が遠いせいなのか、それとも記憶力や判断力が弱っているせいなのか分かりません。ですがそれは老いのせいであって父のせいではないので、私はできるだけ愛を持って父に応えるように心がけています。
ところがある日のこと、母が料理番組を見て初めて試して作ってくれたおいしい夕食が終わった後でした。父が「これは文句ではないからね。」と前置きしたのはいいのですが、母が作ってくれた料理が口に合わなかったらしく、手間をかけて不味くなるのなら、手間をかけずに素材のまま食べたほうがいい、という内容のことを言いました。私はその母の愛情や苦労をないがしろにするような父の言葉に憤りを感じ、最初は穏やかに諭すように心がけましたが、段々と売り言葉に買い言葉となり、しまいには父に対して大声を上げてしまいました。しばらく経ってから、よくよく考えてみると、父は老いのせいで頑固さや我儘が強くなってきているのだから、父の発言をまともに受けて反論するのはよくないと気付きました。私にも欠点はたくさんあり、それを棚に上げて相手を責めるのはとてもいけないことです。
「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気づかないのですか。兄弟に向かって「あなたの目のちりを取らせてください」などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイ7:4~5)
私は、この聖書の言葉を忘れずに心がけようとしていながらも、よく忘れてしまいます。この言葉を覚えたら、家族の関係だけではなく、職場の関係も良くなるでしょう。私にはこの欠点があることを知りながらも私を愛してくださる神様の助けを得ながら、大切に育ててくれた父に対して感謝の気持ちを忘れずに、いつも愛を持って接していきたいと思います。
(2017年 通巻291号)
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