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「落ち穂拾いから学ぶ社会福祉」



 「落ち穂拾い」と聞くと、画家ミレーの名画を思い浮かべる方も多いでしょう。ミレーは困窮の只中で、自殺を考えるほど人生の谷間の時期を歩んだことがありました。その時に描かれたのが「落ち穂拾い」の作品だと言われています。貧しい農民が、刈り終わった後の畑に落ちている一つ一つの落ち穂を拾い上げる、厳しい労働の姿を描いたのがこの作品です。


 「モアブの女ルツはナオミに言った。『畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。』ナオミは『娘よ、行っておいで』と言った。」  (ルツ記2章2節)


 「あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。・・・それらを貧しい人と寄留者のために残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」  (レビ記19章9~10節)


 落ち穂拾いは、旧約聖書で規定として定められていました。上記の箇所は、ルツという外国からきた女性が姑のナオミに落ち穂を拾いに行くことの許可を求めるシーンです。落ち穂拾いは、貧しい人々、寡婦や外国人や孤児のために神が定めた福祉規定として大事にされていました。畑のすべての収穫物を刈り取るのではなく、貧しさの中にある人たちのために一部を残しておくという規定です。自分のことだけを考えて生きるのではなく、他の人のことも顧みる生き方が神によって定められていたのです。これは、貧しさの中にある人であろうと神に覚えられていることの証でもあります。


 コロナ禍が経済界に与えている影響は甚大です。筆者の身近なところでも、働いていた事業所が閉鎖となり、職を失った方がいます。明日をどう生きるかという課題は、今もなお切実な問題として私たちの前に迫っています。


 幸いなことに、完璧ではないにしても、日本には社会福祉制度があります。普段意識することはあまりないかもしれませんが、それぞれ働いた分から少しずつ取り分け、収入を得られなくなった方を助けています。社会福祉は、何千年という前から神によって定められていたものとして、人類の歴史に刻まれています。「受けるよりも与える方が幸い」という聖書のことばもありますが、今この困難の時代だからこそ、互いに支え合う福祉のあり方を聖書の視点から考えてみませんか。HFBでは「聖書研究サービス」もございます。ぜひご利用ください。 


#(2021年 通巻403号)


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