星野富弘さんの詩に次のものがあります。
貧乏くじ 引いてみるといいですよ
私はすごいのを当てたことがあります
希望とか愛とかどこにでも ありそうですが
本物はなかなか 手に入らないものが当たるんです
貧乏くじ はずれはないそうです
引いてみるといいですよ
それに対し、(富弘さんの)親友が寄せた言葉です。「貧乏くじ。当たりました。景品は妻でした。持参金は愛だ、というのですが・・・」。 さらに富弘さんの言葉が続きます。「前後賞の子どもたち元気ですか。うちの貧乏くじが、会いたがっています。」
普通「貧乏くじ」はハズレです。ではどうして「当たりました」と言うのでしょう。
実は「貧乏くじ」は、本当は大当たりであって、それも一番上の特等のものがあるからです。それは、私たちが欲しいと願っても、そのために努力しても、なかなか手に入らないもののようです。しかし「貧乏くじ」が当たるためには隠れた「コツ」があるようです。
ある日の礼拝宣教の中で、こんな勧めを聞きました。「面倒だからやろう。神様が先にいて、祝福してくださるから。」
実は「面倒なもの」や「貧乏くじ」の中に価値のある大当たりが隠されていることが多いのです。
星野富弘さんは24才の時、体育教師として指導中に頸髄を損傷し、首から下の運動機能を失ってしまいました。その後結婚をされ、現在は口に筆をくわえて詩画の創作を行っています。筆者の好きな詩に「がくあじさい」があります。「結婚指輪はいならいと言った・・・」から始まるこの詩は、神の限りない祝福に対する富弘さんの感謝と、希望がみなぎり、押し寄せる波のように心を打つ詩です。
「貧乏くじ」本当は「当たり」なのに、気づいていない人がいるのかも知れません。あなたも自分の「くじ」を再点検してみてはいかがでしょうか。
「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒の働き20:35)
(2015年 通巻176号)
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