本年1月25日発行の「貧乏くじ」の中で、星野富弘さんと素敵な詩、とくに「がくあじさい」について触れましたので、今回、その詩の全部を紹介したいと思います
結婚ゆび輪はいらないといった
朝、顔を洗うとき
私の顔をきずつけないように
体を持ち上げるとき 私が痛くないように
結婚ゆび輪はいらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で 私の許に来たあなたが
洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から 金よりも銀よりも
美しい雫が落ちている
この詩に出会い、結婚とは何かを深く考えされられます。一人の青年の許に来た麗しい花嫁の姿が、まるで絵画のように映し出されています。この情景には心地よい音楽が聞こえてくるようです。
聖書には、神が人間を創造し、男と女に造られたと記されています。結婚を制定したのは神なのです。
「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。この奥義は偉大です。」(エペソ5:31,32)
聖書で「奥義」とは難しくてわからないことではなくて、「明らかにされた神様の思い」という意味です。テレビでは毎日、有名人の結婚や離婚の話題で賑わっています。離婚をする人の口から、互いに「貧乏くじ」を引いたかのようなことばを聞きます。本当は、大当たりで、特等のものであるのに、気づいていないのではないでしょうか。
ある結婚式の祝辞の中で、こんな話を聞いたことがあります。「男性は、『よくも私のような者のところに来てくれた。』女性は、『よくも私のような者を妻として迎えてくれた。』と思いなさい。」 結婚の奥義は、本当の神を知るとわかってきます。 「貧乏くじ」ではなく、偉大な奥義として、結婚を考えてみることをおすすめします。
(2015年 通巻188号)
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