iPS細胞の研究で、京都大学の山中教授がノーベル医学生理学賞の栄誉に輝きました。再生医療の道や、難病といわれる病気の治療薬の研究に一筋の光をもたらすものであり、様々な方向に発展する可能性のある研究でもあります。その業績は素晴らしいもので、数々の賞賛に値します。
私は、子供の頃、炭鉱の住宅地(ヤマ)に住んでいました。情報の少ない田舎でしたが、ノーベル賞のことは知っていて、父からノーベル賞にはいくつかの分野があることを教わったので、「その中で一番の賞は何なの」と聞いたところ、「それは平和賞だよ」と答えてくれました。科学者がしのぎを削る分野の賞が、もちろん素晴らしいものであると認めた上での話でした。
私は考えました。賞を授けるのにふさわしいと判断する人たちは、どんな人なのだろう。その時の時代背景や、評価する人の価値観に、多少なりとも左右されるのではないか。究極的には、人間には真に優劣がつけられないのではないかと。
聖書に、「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」という言葉があります。私はこの言葉に衝撃を受けました。それは、平和をつくる者には「賞」を与えるというのではなく、「神の子」と呼ばれると書いてあるからです。 「神の子」と呼ばれることは、どんな「賞」よりも素晴らしく、大きく、価値のある気高いものなのではないだろうか。私はイエス・キリストが話された「神の子」と呼ばれることの真の価値に圧倒され、震える思いです。
「賞」はとれなくても、平和をつくることは、人の評価にかかわらず誰にでもできることなのではないでしょうか。
山中教授の業績は素晴らしいものです。その技術が、平和のために用いられるならなお一層そう思います。
私は幼い子供たちに話してあげたい。大きくなったら、どんな分野であっても、「平和をつくる人になりなさい。そして神の子どもと呼ばれる人になりなさい」と。
「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ16:26)
(2012年 通巻 72号)
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