「青年よ大志を抱け」札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭であったクラーク博士が、学生との別れ際に残したこの言葉は、札幌市民には解説する必要がないほど有名な言葉です。しかし、この言葉は、「青年よキリストにあって大志を抱け」という内容が、真の意味(英語の原文)だったということはあまり知られていません。クラーク博士は熱心なクリスチャンでした。ですから、「キリストにあって」というのはクラーク博士にとって、ごく自然のことばだったのです。ところが、その大切な「キリストにあって」という部分が削られて伝わったとされています。
なぜ、クラーク博士はこのようなことを言ったのでしょうか。前々回のテーマでは、聖書から分かることとして、「私たち一人ひとりに神は目的を持っておられ、その目的を果たすための能力を与えられている」という点に触れました。(前々回のテーマはこちらから→)
「キリストにあって」とは、このような大切な内容を含んだことばであると考えられます。
こういう観点から考えると、私たちがその本来の目的に沿って生きる時に、その人の「強み」が最大限に発揮できるという見方ができます。
また、熱心さも与えられ、神が喜ばれる祝福された人生を歩むことができるという希望も生まれてきます。
クラーク博士の言葉は短く、真意は今となっては分かりませんが、博士が信じた聖書の言葉に照らし合わせる時、「大志」を抱くことのできる根拠として、このような解釈をすることができます。私たちはそれぞれ自分の人生の目的を見つけているでしょうか。
「神は、みこころ(神の意志)のままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ピリピ2:13)
(2012年 通巻 54号)
Comments