子供の頃、父からこんな話を聞いた。
ある国の殿様が家老に言ったそうだ。「もう世の中にある食べ物には食い飽きた。もっとうまいものを食いたい。何かないか。」家老は考えた末、こう言った。「殿、私の言うことを聞いてくれますか。そうすれば必ず、おいしいものを差し上げます。そのかわり、3日3晩水以外何も食べないでください。」殿様はうまいものを食べたい一心で、それを守ったそうだ。4日目になって、家老は茶碗に一杯のおかゆを、塩を添えて殿さまに差し上げた。殿様は涙を流しながら、それを食べ言ったそうだ。「世の中でこんなうまいものはない。」と。
私は、ミシュラン北海道版で、今年3つ星をとって有名になった食事処に何回か行ったことがある。確かに料理の素材も見栄えも良いし、おいしい。接客のマナーも良い。おめでとうと言いたいが、この店が3つ星をとったと知った時、いろいろと考えさせられた。「食」とは何だろう。子どもにとっては、お母さんのハンバーグが一番おいしいのではないか。高価な食事がおいしいとは限らない。大体、ランクをつける必要があるのか。愛情がこもってこその「食」ではないか。
聖書の中に、イスラエルの民がモーゼに導かれ、エジプトから脱出し、約束の地に行く間、神が天からマナという食物を降らせて民を養ったとの記述がある。「これは主(神)があなたがたに食物としてあたえてくださったパンです。」食物が必要なのは何故か。答えは「生きるため」である。しかし聖書に「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と書いてある。また「わたし(キリスト)はいのちのパンです。」とも書いてある。
忙しさの中で、私たちに隠されていて見えないものがあるのではないだろうか。生きるために必要なものは、わずかなもので十分なのではないか。おかゆを食べた殿様が気づいたことは何なのだろうか。もう一度考えなおしてみてはどうだろうか。「パンはどうして必要なのか。」を。
忙しいためか、あの3つ星の店からは、今はダイレクトメールは全く来ていない。
「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」(聖書)
(2012年 通巻 55号)
Comments