山の中で狐と猫が会いました。狐は猫に、ここへもし敵が来たら、のがれ場所はいくつ持っているかというのです。猫が、「一つだけです」と答えますと、狐は、「馬鹿だな、たった一つか」と鼻で笑いました。そのことばが終わるか終らないうちに、猟犬が5匹走ってきました。この急場に猫はたった一つの逃れ場である木の上にするすると登ってしまいました。そして下を見ると、あんなに猫を馬鹿にした狐が、ぐったりとなって死んでいました。
これはイソップのお話ですが、あなたは、この世の敵に対して、いくつの逃れ場を持っていますか。人の考えから出たものをいくつ持っていても、いざという時には狐の失敗を繰り返さなければなりません。逃れ場がいくつもあるということは、どれにも確信がない
ということです。
心の重荷を自分で負って、それでよい結果になればよいのですが、しかしいよいよ思いわずらいの渦に巻き込まれてしまうのです。
このような時すべてを神さまに祈ってゆだねるなら、すべてが解決するのです。「ゆだねよ。主はあなたのことを心配しておられる」と言われます。 思わぬ災害で愛する者を失ったとき、自分の心をどうして自分の力で治めることができるでしょうか。誰の責任かということを調べてみたところで、愛する者が、戻って来るわけではありません。このような、身も心も置き場のないような苦しみがいつ来るかわかりません。
わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
マタイの福音書 23章 37節
唯一の避け所であるみつばさ(御翼)の下に入らせていただく人、キリストの心を心とする人を神様は今も求めておられます。
以上は「みことばの味わい」と題する本に書かれている舟喜ふみさんの遺稿の一部です。
神さまは、その愛の故に、苦しみ悩みさまよっている私たちを、心配しておられるのです。
(2012年 通巻 33号)
Comments