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コンプライアンスが問われる時代

事が起きると何かと横文字が飛び交う現代。「コンプライアンス」の言葉も度々目にし、耳で聞いている方も少なくないと思います。この英単語には、法令や命令に応じるといった意味があります。日本語では「遵守」「服従」などに訳されます。しかしカタカナで「コンプライアンス」と使用される時はたいてい「法令遵守」、企業が法律や倫理に則って活動することをあらわす語として用いられることがほとんどのようです。


 コンプライアンスが問われる背景には、法や常識から逸脱した行為が度々企業にみられるようになったからでしょう。少し前の話になりますが、ある大企業の子会社の経営陣3人が、必要な社内の手続きを踏まえずに過剰な交際費や出張費を受け取っていて辞任したというニュースが今年4月に流れました。最初は個人的で小さなこととして考え行動したのかもしれません。しかしどんなに細かなことであっても不正は不正であり、公になる時は事が大きくなっていることがほとんどです。


発覚した後の信頼の失墜を考えると、進んで不正をしようと企業を挙げて取り組んでいるところはまずないでしょう。利益を出さなければならない状況に立たされている責任ある担当者が、あるいは私利私欲の誘惑から会社のお金を「不正流用」してしまう個人が取るべきではない行動に出てしまう。コンプライアンスが問われる今の時代は、法令を前にしての自分の心の在り方が問われている時代だとも言えます。


 聖書にはこのようなことばがあります。

「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」(箴言4章23節)


この言葉は、人が悪へ走ることのないように「知性」「意思」「感情」それらの内なるものを働かせて生きよとの教えです。不正を働かせてしまう欲や誘惑はいつも私たちの身の回りにあります。その誘惑に打ち勝つ知恵についても聖書は語っています。


聖書には私たちが正しく、ふさわしく生きるための知恵がちりばめられています。コンプライアンスが問われている時代だからこそ、自分の心の在り方を聖書から点検してみてはいかがでしょうか。


#2018年 #通巻326号

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